伯樂雑記

政治やルールなどへの考えやぼやきを書きつけるブログです。

感想『トランスフォーマー ビースト覚醒』

※注意:ネタバレあります。

 

 正直なところ、私が面白いと感じる部類ではなかった。一応のこと、私は1作目から3作目までのデザインやシンプルなストーリーが好みだったことは述べておく。

 今回、最も残念に思ったのが、副題に「ビースト覚醒(Rise of the Beasts)」と銘打っている割には、マクシマルの出番の少ないことである。ストーリーの軸が、オートボットの初登場キャラクター,ミラージュと人間にあり、マクシマルが目立っていない。前作、『バンブルビー』においても、若者とトランスフォーマーの出会いは描かれた。「主人公がトランスフォーマーと出会う」という展開は、かれこれ1作目、4作目(ロストエイジ)、そして『バンブルビー』と3回描かれている。『ビースト覚醒』は、そうした描写のために時間を割きすぎているのではないだろうか。ミラージュとノアの友情と、マクシマルやユニクロンの関わりといった題材を同時に処理しようとして、味が薄くなっているように感じた。

 また、トランスフォーマーの変形した姿が、遠くから眺めるようであり、よくわからなかった。変形を「魅せる」点においては、マイケル・ベイ氏の方が優れているように思う(もちろん戦闘描写のわかり易さは今回のほうが上である)。特にマクシマルだ。変形するのが後半も後半、そして変形後の姿がオプティマス・プライマル以外よくわからない。エアレイザーに至っては、人型を見せる前に死んでしまった。1~3作まででも、変形を見せずに出番が終わったトランスフォーマーもいる。しかし、ビーストモードで死ぬのは、ビークルモードしか見せずに死ぬようなものではないか?

 これは好みの要素が強いのであるが、デザインに関して私は懸念を抱く。後半、ノアがミラージュのパーツから作られたスーツを纏うのであるが、明らかにデザインが他のトランスフォーマーから浮いている。そして、これまで人間の活躍とも大きく違っていた。主人公およびその周りの人間が、小回りを効かせて敵を翻弄するか、米軍がその兵器技術を投入するといった形で描かれてきた。今回は一人間の力が異様に増大していたように思える。正直なところ、2作目『リベンジ』の後半でオプティマス・プライムが瀕死のジェットファイアーからパーツを貰って強化されるパターンと似通っており、「この展開見た」という感情が先立ってしまった。

 音楽の使い方は、これまでのシリーズと一線を画すものであった。何せ戦闘中にヒップホップを流すのである。歌詞入りの曲を戦闘中の挿入歌として用いたのは、今回が初であろう。それまでの実写トランスフォーマー作品と毛色が違って、好みではなかった。

 そして、「リブートではない」とプロデューサーは語っているわけだが、もはやどうにもできないレベルの設定矛盾を起こしているように思えてならない(もちろんバンブルビーの声に関する1作目と5作目の矛盾は重々承知であり、不満でもある)。

 https://theriver.jp/tf-rotb-bonaventura-interview/

 5作目で地球はユニクロンと言われながら、今回はユニクロンは地球を食べようとする存在であった。また、オプティマス・プライムが地球に来る時期が、1作目と矛盾している。ラストで帰る術を失ったオートボットであるが、どう繋げるかがわからない。サイバトロン星でのトランスフォーマーの姿も、1作目のプロトフォームと大きく違うのが少々不満である。

 そして、リブートしないのだとすれば、もはや市街中心の大規模戦闘は描けないのではないだろうか。トランスフォーマーが多くの人間に認知されたのは、1作目における市街の戦闘である。それ以前の時代であれば、小規模のものにならざるをえない。私としては1~3作目までのデザインが好きである。もはや叶わないとは思うが、リブートとしたうえでどちらの世界の物語も完結することを願う。